おもいっきり おもしろ山 お城山



霞ケ城プロローグ
 二本松市民が“お城山”と愛称する憩いの場として、また通年観光地として多くの人々が訪れ親しまれている県立霞ケ城公園は、遠く室町時代から江戸時代の終えんまで、420有余年の長きにわたり営まれた“二本松城”跡です。
  室町時代に畠山氏が二本松城と名づけて始築し、伊達政宗の支配を経たのち会津領となり、石垣を積んだ城に姿を変え、寛永20年(1643)二本松藩10万700石の誕生に伴い丹羽氏が入府そして慶応4年(1868)の戊辰戦争では二本松少年隊の悲話とともに城内・郭内はことごとく戦火に包まれ、落城の憂き目にあうという歴程がありました。
  そして今、春は桜花爛漫全山を包み、つつじ、ふじが彩りを競い、夏は緑樹とのコントラストが映える庭園、秋は紅葉が全山錦を織りなし、冬には老松にかかる雪景色が魅了し、訪れる人々に四季折々の感動を与えています。
  さらに、幾百星霜を経た今日でも、所々に昔日をほうふつさせる歴史的・文化的な多くの遺産がわたしたちを迎えてくれます。
  その魅力に触れながら、ちょっとぶらり“お城山”の春夏秋冬を満喫してください。

霞ケ城公園の桜 霞ケ城公園桜まつり
4月10日〜5月5日
ライトアップ/18:00〜22:00

二本松の菊人形
日本最大菊の祭典が10月1日〜11月23日までこの地において豪華絢爛に開催

消印の画像

「岳温泉桜坂」
4月下旬が見頃。二本松インターから車で20分

「安達ケ原ふるさと村」

「三春滝桜」(三春町)
樹齢1000年・国天然記念物
(当市から南東へ約20km)

「合戦場のしだれ桜」(二本松市東新殿)
樹齢200年の巨木・市指定天然記念物
(当市から南東へ約18km)

二本松城主・城代等の変遷
領主 区別 氏名 在職期間
畠山 城主 満泰・(満盛)
嘉吉年間(1441〜1443)
(天正10年6月本能寺の変 織田信長死去)
天正14年(1586)7月
持重・政国
村国・家泰
義氏・義国
義継・義綱
伊達政宗 城主 片倉景綱 天正14年(1586)7月〜同14年(1586)9月
城主 伊達成実 天正14年(1586)9月〜同18年(1590)6月
城代 石母田景頼 天正18年(1590)6月
城代 大篠宗綱
城代 柴田宗義 同18年(1590)8月
蒲生氏郷 城代 蒲生郷成
天正18年(1590)8月
(天正18年豊臣秀吉天下統一)
〜 慶長3年(1598)3月
城代 町野繁仍
城代 町野幸和
上杉景勝 城代 秋山定綱
慶長3年(1598)3月 〜
(慶長3年8月豊臣秀吉死去)同6年(1601)8月
城代 下條定親
蒲生秀行
蒲生忠郷
城代 梅原弥左衛門
慶長6年(1601)8月
(慶長8年2月江戸幕府成立)
〜 寛永4年(1627)1月
城代 本山安政
城代 本山安行
城代 外池良重
城代 門屋助右衛門
城代 門屋但馬守
<幕府領> 在番 酒井右近太夫
寛永4年(1627)1月
〜 同4年(1627)2月
在番 太田原晴清
加藤嘉明
加藤明成
城主 松下重綱 寛永4年(1627)2月〜同4年(1627)10月
城主 松下長綱 寛永4年(1627)10月〜同5年(1628)5月
城主 加藤明利 寛永5年(1628)5月〜同18年(1641)3月
代官支配 寛永18年(1641)3月〜同20年(1643)5月
<幕府領> 在番 相馬義胤 寛永20年(1643)5月〜同20年(1643)8月
丹羽 城主 丹羽光重
丹羽光重
(にわみつしげ)
寛永20年(1643)8月〜延宝7年(1679)4月
城主 丹羽長次
丹羽長次
(にわながつぐ)
延宝7年(1679)4月〜元禄11年(1698)6月
城主 丹羽長之
丹羽長之
(にわながゆき)
元禄11年(1698)8月〜同13年(1700)12月
城主 丹羽秀延
丹羽秀延
(にわひでのぶ)
元禄14年(1701)2月〜享保13年(1728)5月
城主 丹羽高寛
丹羽高寛
(にわたかひろ)
享保13年(1728)6月〜延享2年(1745)5月
城主 丹羽高庸
丹羽高庸
(にわたかつね)
延享2年(1745)5月〜明和2年(1765)12月
城主 丹羽長貴
丹羽長貴
(にわながよし)
明和3年(1766)1月〜寛政8年(1796)3月
城主 丹羽長祥
丹羽長祥
(にわながあきら)
寛政8年(1796)5月〜文化10年(1813)8月
城主 丹羽長富
丹羽長富
(にわながとみ)
文化10年(1813)10月〜安政5年(1858)10月
城主 丹羽長国
丹羽長国
(にわながくに)
安政5年(1858)10月〜明治1年(1868)12月
城主 丹羽長裕
丹羽長裕
(にわながひろ)
明治1年(1868)12月〜明治4年(1871)7月


霞ケ城公園
霞ケ城公園絵図
画像をクリックして拡大表示させ、下記の内容と照らし合わせてご覧ください。
霞ケ城公園絵図を拡大して表示します。
【拡大表示:133KB】


 PDFダウンロードはこちら[1.9MB]

1 旧二本松藩戒石銘碑(きゅうにほんまつはんかいせきめいひ)【国指定】
  戒石銘碑イラスト 藩士を戒めるため、5代藩主丹羽高寛(たかひろ)公が藩儒学者の岩井田昨非(さくひ)に命じて、藩士通用門前の自然石に寛延(かんえん)2年(1749)刻ませた4句16文字の銘文。教育資料として、また行政の規範としての価値が高く評価され、昭和10年(1935)国史跡に指定。
戒石銘碑
   
2 二本松少年隊群像(にほんまつしょうねんたいぐんぞう)
   戊辰戦争二本松最大の激戦地・大壇口戦場における少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を仕立てる母の姿を、日本芸術院会員・名誉市民の彫刻家橋本堅太郎氏がブロンズ制作、平成8年建立。
   
3 箕輪門(みのわもん)
   初代藩主丹羽光重公入府まもなく、城内整備のため御殿と共に最初に建造した櫓(やぐら)門。主柱材料のカシの巨木は領内箕輪村山王寺山の御神木を用いたことから、この名がある。
二本松少年隊群像と箕輪門イラスト
   
4 三の丸跡(さんのまるあと)
   丹羽氏入府まもなく、それまであった侍屋敷を移し、本丸の性格をもった藩主御殿を建造、戊辰戦争で焼失。現在は菊人形のメーン会場。
   
5 相生(あいおい)の滝
   昭和9年(1934)二合田(にごうだ)用水を引いて造られ、名称は公募による。傍らに、七福神の一つ・弁財天(べんざいてん)を祀った小さな祠(ほこら)が密やかに建つ。
   
6 洗心亭(せんしんてい)【県指定】
  洗心亭イラスト 城内に唯一残る江戸期の建造物で、木造カヤ葺き・寄棟平屋造りの茶亭。当時は「墨絵(すみえ)の御茶屋」といい、光重公がこよなく愛した。一時城外への移築により戊辰戦火を逃れ、明治40年(1907)に再移築。上方の洗心滝に感じ入った丹羽家16代当主が改称。
   
7 るり池
  るり池のイラスト 光重公時代の造園の姿を今に残す。小規模な回遊式庭園ながら、自然との調和に一体感をかもし出している。
   
8 霞ケ城(かすみがじょう)の傘(かさ)マツ【市指定】
  傘マツのイラスト 別称「八千代(やちよ)の松」ともいわれるアカマツの巨木で、樹齢350年を越す。1本の幹から三方に枝を伸ばした独特の形状は見事。
   
9 二本松城跡(にほんまつじょうあと)のイロハカエデ【市指定】
  イロハカエデのイラスト るり池周辺には、庭園整備の時に植えられたという楓の古木が多い。その中でも代表する見事な老木で、樹齢350〜400年。
   
10 土井晩翠歌碑(どいばんすいかひ)
  土井晩翠歌碑ラスト 旧会達製糸会社の社歌を作詞した晩翠が、昭和24年(1949)発表会のため来松。花吹雪の中を散策し、その情景を詠んだ。
「花ふぶき 霞が城のしろあとに 仰ぐあだたら 峯のしら雪」
   
11 丹羽一学(にわいちがく)・服部久左衛門(はっとりきゅうざえもん)・丹羽新十郎(にわしんじゅうろう) 自刃の地碑(じじんのちひ)
   慶応4年(1868)7月29日、戊辰戦争主戦論の実力者家老・一学と副役2名が藩主に代わって戦犯の責任をとり、共々に切腹。
一学の辞世「風に散る 露の我が身は いとわねど 心にかかる 君が行く末」
   
12 日影の井戸(ひかげのいど)
  日影の井戸のイラスト 千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と共に“日本の三井”といわれる。石積みで、深さ14m余り、底から北方に12m余り横堀りされているという。
   
13 二合田用水(にごうだようすい)
  二合田用水イラスト 丹羽氏入府まもなく城防備を目的として、安達太良山麓より尾根伝いに延々18キロもの距離を城内に引水した用水で、幕府には内密だった。のち各村に灌漑用水として、城下町には生活・防火用水として利活用。
   
14 智恵子抄詩碑(ちえこしょうしひ)
  智恵子抄詩碑イラスト 高村光太郎直筆「樹木の二人」「あどけない話」の一節を、伝説が残る大小一対の“牛石”に銅版ではめ込んでいる。周囲の円形野外劇場のイメージは詩人草野心平の発案。
   
15 少年隊の丘(しょうねんたいのおか)
  少年隊の丘のイラスト 明治百年の昭和43年(1968)に命名。橋本堅太郎氏の父・日展彫刻家橋本高昇制作のブロンズレリーフ「二本松少年隊奮戦の図」や顕彰碑「二本松大壇口弔少年隊戦死墓」などが建つ。
   
16 搦手門跡(からめてもんあと)
  搦手門跡のイラスト 裏門、今は門台石垣と門柱を立てた左右の礎石が残る。畠山氏あるいは蒲生氏時代の堀立柱による冠木門(かぶきもん)の柱穴も発掘調査で発見。
   
17 本丸直下大石垣(ほんまるちょっかおおいしがき)
   二本松城で最も古い石垣のひとつ、高さ13mに達する。織田信長・豊臣秀吉時代の城郭石積みのスペシャリスト「穴太衆(あのうしゅう)」により築かれた石垣。
 
「穴太(あのう)積み」とは
穴太(あのう)積みの写真 近江国(現在の滋賀県大津市坂本町)穴太に住む城郭石垣技術者集団は穴太衆と呼ばれ、彼らが積んだ石垣を特に「穴太積み」と称しました。織田信長により日本初の本格的城郭の安土城築城をきっかけに一躍天下にその名が知られ豊臣秀吉・徳川家康ら多くの戦国武将からスカウトされ、城郭石垣の石積みに従事しました。
  その特徴は、[1]大小様々な自然石を石材として用いる、[2]横積みにするように寝かせて積む、[3]巨石の周りの石のおさまりがよい、[4]勾配はゆるやかで強度はつよいなどです。そして隙間が多いためその明暗から立体感を生み、自然の造形美を見せてくれます。
   
18 本丸跡(ほんまるあと)
  本丸跡イラスト 室町時代は奥州探題(おうしゅうたんだい)職・畠山氏の居城。のち会津領時代に蒲生氏、加藤氏により石垣で築造、天守台は造られたが天守閣はできなかった。平成5年から総工費約5億3千万、2年をかけ石垣の全面修築復元工事を完成。
   
19 丹羽和左衛門(にわわざえもん)・安部井又之丞(あべいまたのじょう) 自刃の地碑(じじんのちひ)
   城代丹羽66歳、勘定奉行安部井65歳、燃え上がる御殿を眼下に、共に壮絶な最期を遂げた。丹羽着用の血染めの具足は、資料館にて展示。


=お城山=史跡探索モデルコース
お城山をまるごとエンジョイしてください!
3の丸コース
駐車場 城山第1駐車場
  矢印
1 旧二本松藩戒石銘碑
  矢印
2 二本松少年隊群像
  矢印
3 箕輪門
  矢印
4 三の丸跡
  矢印
5 相生の滝
  矢印
7 るり池
  矢印
9 二本松城跡の
イロハカエデ
  矢印
8 霞ケ城の傘マツ
  矢印
6 洗心亭
本丸・2の丸コース
駐車場 乙森跡駐車場
  矢印
18 本丸跡
  矢印
19 丹羽和左衛門・安部井
又之丞  自刃の地碑
  矢印
16 搦手門跡
  矢印
15 少年隊の丘
  矢印
14 智恵子抄詩碑
  矢印
13 二合田用水
  矢印
10 土井晩翠歌碑
  矢印
6 洗心亭
  矢印
11 丹羽一学・服部久左衛門・
丹羽新十郎 自刃の地碑
  矢印
12 日影の井戸
  矢印
17 本丸直下大石垣

大山画伯が描く「にほんまつ八景」
 1992年(大正11年)5月5日、二本松市根崎に出生。1952年(昭和27年)第8回日展に「池畔に立つ」を出品し初特選、同時に白寿賞および朝倉賞を受賞。1961年(昭和36年)日展会員となる。1991年(平成3年)日展常務理事に選任され、事務局長に就任する。2003年(平成15年)日展顧問に就任する。現在、日本芸術院会員。
 “名誉市民大山忠作画伯がスケッチするビューティフルにほんまつ八景”を企画し、大山画伯のご理解とご協力のもと、ご自身が選定された八景を描いていただきました。日本画壇の重鎮であります大山画伯の見事な描写力と、郷土愛に満ちあふれた抒情性に触れてください。 
安達ケ原黒塚
安達ケ原黒塚
湯川渓谷
湯川渓谷
安達太良山
安達太良山
戒石銘碑
戒石銘碑
霞ケ城箕輪門
霞ケ城箕輪門
稚児舞台
稚児舞台
岳温泉鏡ケ池
岳温泉鏡ケ池
阿武隈川
阿武隈川

ぐるり探訪!お城山
〜桜に霞む春、菊人形の秋・紅葉〜
「四季折々の美を愛でるお城山めぐり」
 日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも選ばれた二本松城(霞ケ城公園)。この公園は、庭園に歴史の面影を映し、四季の恵み豊かな城跡です。この歴史ある城跡をそのまま公園として今に伝える霞ケ城公園(愛称お城山)は、その庭園美でも全国的に名が知られています。“春夏秋冬”折々の季節を感じながらちょっとぶらり、お城山であなただけの宝物を見つけてみませんか!

本丸より望む城下町
本丸より望む城下町

春  桜の季節は出逢いの始まり!
 春爛漫、桜花が全山をやわらかに包み込みます。約1,700本の桜(ソメイヨシノ)が満開!まるで霞がかかったような美しさです。戒石銘碑からの坂を上れば、心躍る桜のトンネルに出逢えます。躑躅(ツツジ)と藤が彩りを競い、可愛い草花が春の訪れとともに次々と咲き始めます。

コブシ
コブシ(3〜4月)
カタクリ
カタクリ(3〜4月)
桜のトンネル
城山回遊道路北手桜のトンネルが続く
(4月中旬)
ハナミズキ
ハナミズキ(4〜5月)
コモチマンネングサ
コモチマンネングサ(5〜6月)
アズマイチゲ
アズマイチゲ(3〜5月)
シャリンバイ
シャリンバイ(5月)
ドウダンツツジ
ドウダンツツジ(4〜5月)
ヤマエンゴサク
ヤマエンゴサク(4〜5月)
ニワゼキショウ
ニワゼキショウ(5〜6月)
スグリ
スグリ(5〜6月)
霞ケ池周辺の藤棚
霞ケ池周辺の藤棚(5月)
洗心亭付近のつつじ
洗心亭付近のつつじ(5〜6月)

夏  緑の季節は元気に森林浴!
 夏は木々の深い緑を映す庭池、南中腹にある傘マツ(アカマツ)の見事な枝、雨に濡れる紫陽花の小道も素敵です。頂上の城跡に登れば360度の自然大パノラマ。「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」と詠んだ高村光太郎の智恵子抄の世界が眼下に広がります。本丸下の北斜面で、微かにこぼれる夏の光の中に群生する淡い緑のオオウバユリの花、それは葉も種もハート型の女神です。

ウシハコベ
ウシハコベ(3〜10月)
マムシグサ
マムシグサ(4〜6月)
ミヤマヨメナ
ミヤマヨメナ(4〜7月)
イモカタバミ
イモカタバミ(4〜9月)
タイトゴメ
タイトゴメ(5〜8月)
ノアザミ
ノアザミ(5〜8月)
ホタルブクロ
ホタルブクロ(6〜7月)
スイレン
スイレン(5〜9月)
ニガナ
ニガナ(5〜7月)
ヤマユリ
ヤマユリ(7〜8月)
ナツツバキ
ナツツバキ(6〜7月)
カワラナデシコ
カワラナデシコ(7〜9月)
ネジバナ
ネジバナ(7〜9月)
ヒレハリソー(コンフリー)
ヒレハリソー(コンフリー)
(6〜8月)
アジサイ
アジサイ(6〜8月)
オオバジャノヒゲ
オオバジャノヒゲ(7〜8月)
ハナショウブ
ハナショウブ(6月)
オオウバユリ
オオウバユリ(7〜8月)
ヤブラン
ヤブラン(8〜10月)

秋  紅葉の季節を大満喫!
 秋はほんとうの空の下、全山が紅葉と日本一の菊人形で彩られた、まるで錦の織物と言えましょう。池の水面、石垣にかかるイロハカエデの枝をわたる風、二本松のとっておきの秋です。

秋を彩る楓
秋を彩る楓(10〜11月)
布袋滝を彩るもみじ
布袋滝を彩るもみじ(11月)
コスモス
コスモス(6〜10月)
城山回遊道路に望む萩
城山回遊道路に望む萩(7〜9月)
ガマズミ
ガマズミ(9月)
ゲンノショウコ
ゲンノショウコ(7〜10月)
オトコエシ
オトコエシ(8〜10月)
ユウゼンギク
ユウゼンギク(7〜9月)
アキノキリンソウ
アキノキリンソウ(8〜11月)

冬  雪の季節で再発見が!
 冬は箕輪門、洗心亭、庭池、老松の雪景。中腹の見晴台から眺める秀峰安達太良山(通称:乳首山)の雪景色も絶景です。冬の凛として透き通った空気の中、お城山の自然は訪れた人に他の季節とは違う輝きを見せてくれることでしょう。
クマザサ
クマザサ
洗心亭
洗心亭