ちょっとぶらりにほんまつ 二本松の菊人形

豪華絢爛 園内を彩る日本最大菊の祭典
 
二本松の菊人形 10月1日から11月23日 福島県立霞ヶ城公園
箕輪門をくぐり抜け、園内に足を踏み入れると、そこには四季折々のドラマがあり、秋には日本一の菊人形と紅葉を満喫できます。
日本の桜名所百選にも選定された福島県立霞ヶ城公園にて開催される「二本松菊人形」は、菊と紅葉が華麗に調和し、大変美しい。昭和30年から始まり、回を重ねるごとにスケールと豪華さを増し、今では日本最大の菊の祭典と定評を得るまでになりました。菊の香りが漂う会場内では世界一の千輪咲や、世界初の三色千輪咲など、色とりどりの菊花が見られ、まさに菊のオンパレードです。同時に二本松菊花品評大会・福島県菊花品評大会も開かれ毎年約20万人の観光客が
訪れます。
  菊人形写真1
 
菊人形写真2 菊人形写真3 菊人形写真4

千輪咲(栽培日数1年6ヶ月)
摘芯することによって枝分かれさせ、1本の茎から千もの花を咲かせる文字どおりの千輪咲き。前年の4〜5月に挿芽を行い栽培を開始する。8月上旬頃から電照照明を開始し翌年の4月中旬まで電照を行う。その後は、摘芯を繰り返して花芽を増やしていき、最終的に円形のドーム型に形を整えていく。一般的に500個以上のものを大多輪(千輪咲き)と呼んでいる。
千輪咲の写真1
千輪咲の写真2
三色千輪咲の写真 世界初の三色千輪咲


嵯峨菊   一文字
京都嵯峨地方で育成されたものではじめ平らに咲いたのち、細い花弁が立ち上がって茶筅状になります。   明治元年(1868)から皇室の紋章になったので、御紋章菊とも呼ばれます。花弁の大きさが揃い、幅広でしわの少ないものが良い花です。
嵯峨菊の写真   一文字の写真


厚物   厚走り
数百枚の花弁が花芯の中央一点に向けて鱗状に整然と高く盛り上がったものが良い花です。   厚物の花の下の袋状の真っ直ぐ長い走り弁が放射状についたものが良い花で、より大きく見えます。
厚物の写真   厚走りの写真


管物
管状の花弁が長く真っ直ぐ伸びて、花弁の先は小さく固く玉巻き状となり、花芯の部分はカップ状か茶筅状になったものが良い花です。管の大きさで「太管」「間管」「細間」に分けます。
管物(細管)の写真
細管
管物(太管)の写真
太管
管物(間管)の写真
間管


小菊の懸がい
小菊の懸がいの写真


菊人形の歴史
藩政時代から菊の愛好家が多く、昭和初期から菊人形が街に飾られていました。その後、昭和30年から霞ヶ城公園を会場に、絢爛豪華に開催され、現在日本最大の規模を誇るまでになっています。
(注:菊人形展は毎年出し物が変わります。)
  メモリアルポスター
第1回二本松の菊人形
(現在の会期は10月1日〜11月23日)
昭和30年(1955)メモリアルポスター

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愛でるお城山の秋
 
霞ヶ城公園秋へのいざない
紅葉の写真「二本松城跡」である県立霞ヶ城公園は“お城山”と愛称され、市民の憩いの場として、また通年観光地として多くの人々が訪れ親しまれています。園内は春夏秋冬・四季折々の風情が楽しめ、またその絶景は訪れる人々に感動を与えています。そして菊人形期間開催中の秋景は、全山にわたり錦を織りなす紅葉で飾られます。
寛永20年(1643)、二本松藩10万700石の誕生に伴い入府した初代藩主丹羽光重の命により、城内とりわけ、るり池を含む回遊式庭園周辺にイロハカエデを植樹したと伝えられています。
そして秋季、イロハカエデを中心としてヤマモミジ、ミツデカエデ、イタヤカエデ、ウリカエデ、カラコギカエデの紅葉は見事な演出をかもし出し、人々を秋へといざないます。
戒石銘碑に覆い被さる紅葉、相生滝をとりまく紅葉、本丸石垣直下に広がる紅葉等々、お城山各所の絶好スポットを探訪してください。
   
るり池   洗心亭(墨絵の茶屋)
るり池の写真   洗心亭の写真


傘マツ(樹齢350年を越す老松)
傘マツの写真


黄金色に染まる銀杏   ライトアップされたるり池
銀杏の写真   ライトアップされたるり池の写真


二本松城址本丸の石垣   旧二本松藩戒石銘碑
二本松城址本丸の石垣の写真  


秋を彩る楓
楓の写真


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豪華絢爛 園内を彩る日本最大菊の祭典
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霞ヶ城公園周辺の観光案内
 
二本松の提灯まつり 毎年10/4〜10/6の3日間開催
二本松神社秋の例大祭。初代藩主丹羽光重が入府し、城内にあった八幡・熊野両社を現在地に移し総鎮守としたのが祭りの始まり、現在の形態になったのは、明治期以降です。
日本三大提灯まつりの一つとされ、最大の見所4日の‘宵祭り'は、7町内合同引き回しで、7台の黄金塗りの太鼓台が、笛・鉦・大太鼓・小太鼓の囃子(県指定無形民俗文化財祭り囃子)で市内を勇壮に練り歩き、太鼓台には約300個の紅提灯がつけられ豪華絢爛に夜を彩ります。
5日の‘本祭り'では祭りの重要な「神輿渡御」が行われ、6日の‘後祭り'の夜は、4町と3町がふたつに分かれての引き回し、霞ヶ城公園箕輪門に3台の太鼓台が集合して、石垣に幻想的な提灯の光を灯します。
二本松の提灯まつりの写真

二本松神社
丹羽光重公が城内の八幡宮と熊野宮を合祀し、総鎮守の御両社として遷宮。本殿には市指定の9代長富公奉納絵馬「源頼政鵺退治の図」と10代長国奉納歌額」があります。神社の秋も紅葉に色づき天高く空が広がります。   二本松神社の写真

野生の王国サファリパーク(二本松I.Cより車で15分)
サファリパークの写真

霞ヶ城公園全景
霞ヶ城公園全景の写真

大正15年
光太郎と智恵子〜アトリエにて
光太郎と智恵子の写真

智恵子の生家・記念館

智恵子を育んだ生家が当時の面影のままに甦る。明治初期に建てられた長沼酒店は、屋号は「米屋」、酒銘「花霞」、生家内にはゆかりのある品々が並ぶ。記念館には不朽の名作「紙絵」をはじめ、油絵、直筆の手紙など智恵子の半生を物語る資料が展示されている。菊人形期間中は休館日なし、実物紙絵3点を特別展示。
TEL:0243-22-6151
交通/JR東北本線安達駅よりタクシー3分、二本松ICより10分

  智恵子の生家の写真
 ▲智恵子の生家
記念館の写真

智恵子の杜公園(鞍石山)

智恵子と光太郎が散策した鞍石山は、伊達政宗の重臣片倉小十郎が石に馬の鞍を掛けたという伝説が残る。そこは詩「樹下の二人」の舞台、静かに燃える純愛の世界が広がる。園内には二人が歩いた「愛の小径」や「彫刻の丘」、「詩碑の丘」などが整備されていて自由に楽しめる。

  智恵子の杜公園の写真

「智恵子に扮する有馬稲子像」
智恵子に扮する有馬稲子像

 明治19年(1886)5月20日酒造業を営む長沼家の長女として生を受けました。西に万葉で詠まれた秀麗な安達太良の峰々と、東に清冽な阿武隈の流れに広がる肥沃な油井の里、智恵子はそんな自然風土に囲まれて育ちました。
  小学校から高等女学校まで首席で通した智恵子が選んだのは日本女子大学校、開放された新しい人間としての生への思いと、美への激しい渇望でした。卒業後は洋画家としての道を進んだが故の高村光太郎との出会い、二人を結びつけたのは愛と信頼にもとづく共棲生活の始まり、大正3年(1914)暮れのことです。
  しかし、二人で築こうとした夢の数々は智恵子の病弱に加えて、洋画家としての自信喪失、さらに実家倒産による故郷喪失でした。“わたしはもうじき駄目になる”〜智恵子が智恵子でなくなる時はやがて訪れます。
  昭和10年(1935)2月南品川ゼームス坂病院に入院、一進一退の繰り返しの末、13年(1938)10月5日午後9時20分死去、享年53歳。その臨終に立ち会ったのは、光太郎ただ一人でした。
  そして、智恵子は死んでよみがえります。入院中に光太郎のためだけに創作した千数百点にも及ぶ遺作「紙絵」、見たもののすべてを魅了してやまない不朽の芸術作品が、詩集『智恵子抄』とともに、今なお二人の純愛を語り続けています。


安達ヶ原黒塚・岩屋

安達ヶ原の鬼婆の伝説発祥地。岩屋は鬼婆の住家であったといわれています。近くには出刃包丁を洗った「血の池」、鬼婆を埋めた墓といわれる黒塚があります。

  安達ヶ原黒塚・岩屋の写真

安達ヶ原ふるさと村
緑いっぱいの約2万3千坪の豊かな自然の中に、二本松の歴史と伝統的な生活文化がひとめでわかる武家屋敷、養蚕農家などを再現しています。入場無料。

安達ヶ原ふるさと村の写真1

  安達ヶ原ふるさと村の写真2

木幡の幡祭り

950年の歴史と伝統がある木幡の幡祭りは「日本三大旗祭り」のひとつで、国の重要無形民族文化財に指定されています。前九年の役、天喜3年(1055)源軍勢が戦いに敗れ、わずか数騎で木幡山に立て籠った際、一夜にして全山が雪で白くなった様を追ってきた安倍の軍勢が源氏の白旗と見違い戦わずして敗走した故事により、現在「幡祭り」として伝承されています。毎年12月の第1日曜日に開催されます。

  木幡の幡祭りの写真1

針道のあばれ山車

天正13年(1585)8月からの祭りで400年以上の伝統があります。凶作が続き、町一帯に疫病が大流行した際、人形飾りの山車と神楽囃子を奉納したとされます。現在は、若者の独創による大型の人形飾りとなっています。毎年体育の日の前日に行われます。

  針道のあばれ山車の写真

杉沢の大杉

昭和18年に国が天然記念物に指定。樹齢600年とも1000年ともいわれ、樹高約50メートル、根元周囲22.5メートルの大木です。藩主丹羽光重公の命名と伝えられています。

  杉沢の大杉の写真
 
二本松市内宿泊施設一覧

<岳温泉地区>・・・・・・・・・・・・・・・(市外局番0243)
庭園の宿 松渓苑 24-2311
あだたらの宿 扇や 24-2001.
陽日の郷 あづま館 24-2211
東三番館 24-3311
ホテル安達屋 24-2121
ホテル光雲閣 24-2101
花かんざし 24-2110
くぬぎだいらホテル 24-2626
鏡が池 碧山亭 24-2008
きら里 24-2225
宝龍荘 24-2131
国民年金健康保養センター 阿多多羅 24-2306
政府管掌健康保険ヘルシーパル二本松 24-2234
あだたら高原富士急ホテル 24-2246
あだたらふれあいセンター 24-2226
民宿 和楽荘 24-2417
民宿 玉美 24-2513
ペンション ティーポット 24-2316
ペンション イノセントエイジ 24-2549
ペンション シャンカー 24-2951
岳の湯 24-2139
空の庭プチホテル 24-2217
くろがね小屋 090-
8780-0302
<塩沢温泉>・・・・・・・・・・・・・・・(市外局番0243)
旅館 湯川荘 24-2126
旅館 青木荘 24-2244
サファリホテル 24-2336
ペンション 四季の郷 24-2847
ペンション 清流 23-4046
山荘 塩沢荘 24-2629
ぺんしょん 杜の泉 24-3301
<二本松駅周辺>・・・・・・・・・・・・・・・(市外局番0243)
旅館 大宗 23-0101
旅館 二葉 23-0884
アーバンホテル二本松 22-1111
<安達・東和・岩代>・・・・・・・・・・・・・・・(市外局番0243)
かねすい智恵子の湯(油井八軒) 23-1178
みどりや旅館(木幡松木下) 46-2727
木幡山参宿所(木幡治家) 46-2869
川崎屋(針道字町) 46-2503
ウッディハウスとうわ(木幡東和代) 46-3391
滝の湯旅館(上長折) 55-2075
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