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旧二本松藩戒石銘碑[国指定] |
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藩士の戒めとするため、5代藩主高寛公が藩儒学者岩井田昨非に命じて、通用門前の自然石に刻ませた4句16文字の銘文。句は、教育資料としてまた行政の規範として価値が高いため、昭和10年に国指定。
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二本松少年隊群像 |
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戊辰戦争激戦地・大壇口戦争の少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を仕立てる母の姿を、日本芸術院会員・名誉市民の彫刻家橋本堅太郎氏がブロンズ制作。平成8年建立。 |
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箕輪門 |
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光重公入府直後、御殿と共に最初に建造した櫓門。材料のカシの巨木は領内箕輪村山王寺山の御神木を用いたため、この名がある。 |
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二本松城跡箕輪門のアカマツ[市指定] |
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箕輪門北側の石垣上に並ぶアカマツの古木郡。城歴の生き証人として樹齢350年を越える。 |
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るり池 |
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光重公時代の造園の姿を今に残す。布袋(ほてい)滝との組み合わせが小規模な回遊式庭園ながら、自然との一体感をかもし出している。 |
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洗心亭[市指定] |
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城址内に唯一残る江戸期の建造物で、木造カヤ葺き・寄棟平屋造りの茶亭。当時は「墨絵の御茶屋」といい、光重公がこよなく愛した。 |
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霞ヶ城の傘マツ[市指定] |
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別称「八千代の松」ともいわれるアカマツの巨木で、樹齢300年を越す。 |
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二本松城跡のイロハカエデ[市指定] |
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るり池周辺の庭園整備の時に植えられたという見事な老木で、樹齢350〜400年。 |
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土井晩翠歌碑 |
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旧会達製糸会社の社歌を作詞した晩翠は、昭和24年に発表会のため来松。花吹雪の中を散策し、その情景を詠んだ。昭和31年建立。 |
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二合田用水 |
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光重公入府まもなく、城防備を目的に安達太良山麓より延々約18キロもの距離を城内各所に引水した用水。幕府へは内密だった。 |
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智恵子抄詩碑 |
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「樹下の二人」「あどけない話」の一節を、伝説が残る大小一対の「牛石」に高村光太郎直筆の銅板ではめ込んでいる。周辺の円形野外劇場のイメージは詩人草野心平の提案。 |
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少年隊の丘 |
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明治100年の昭和43年命名。橋本堅太郎氏の父・彫刻家橋本高昇制作のブロンズレリーフ「二本松少年隊奮戦の図」や顕彰碑等が立つ。 |
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搦手門跡 |
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裏門。今は門台石垣と門柱礎石のみが残る。 |
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本丸跡 |
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室町時代は奥州探題職・畠山氏の居城。のち会津領時代に蒲生氏、加藤氏により石垣積みで築造。平成5年から約5億3千万、2年かけ石垣の全面修築復元工事が行われた。 |
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日影の井戸 |
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千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と共に日本の三井戸といわれる。 |
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二本松神社(にほんまつじんじゃ) |
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光重公が城内の八幡宮と熊野宮を合祀し、総鎮守の御両社として遷宮。本殿には市指定の9代長富公奉納絵馬「源頼政鵺退治の図」と10代長国公献額「丹羽長国奉納歌額」がある。 |
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龍泉寺(りゅうせんじ)(曹洞宗) |
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最古刹(さいこさつ)。観音堂に県指定の秘仏「木造聖観音菩薩立像」を安置、また市指定の絵馬「双松館観桜連中の図」と県内現存で最古の算額がある。 |
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大隣寺(だいりんじ)(曹洞宗) |
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丹羽氏の菩提寺。霊廟・墓所をはじめ少年隊供養塔、殉難者群霊塔など境内は荘厳。市指定の「丹羽氏歴代画像」など丹羽氏ゆかりの宝物を今に伝える。参道入り口には、少年隊副隊長二階堂衛守戦士の地碑がある。享年33歳。 |
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香泉寺(こうせんじ)(時宗/無住) |
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畠山氏10代義国の墓と位牌があるとされる。境内に県内でも希少な露仏(濡れ仏)で市指定の「銅造阿弥陀如来坐像」を安置。 |
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法輪寺(ほうりんじ)(臨済宗/無住) |
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戊辰戦死の少年隊士、小沢幾弥17歳の墓所。明治期に衆議院副議長も務めた清廉高潔な政治家で歌人の安部井磐根が眠る。 |
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称念寺(しょうねんじ)(時宗) |
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奥州探題職・畠山氏の菩提寺。本堂脇に南北朝末期造営という市指定「浮彫阿弥陀如来三尊来迎供養塔婆」を安置。 |
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蓮華寺(れんげじ)(日蓮宗) |
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戊辰戦死の少年隊士、岡山篤次郎13歳・岩本清次郎17歳の墓所。丹羽氏入府時に植えたとされる市指定のシダレザクラがある。 |
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宝泉院(ほうせんいん)(天台宗) |
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本尊の大日如来坐像は金銅仏で、光重公の寄進という。 |
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鏡石寺(きょうせきじ)(天台宗) |
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江戸期に3・4・5代将軍の位牌を安置する御霊屋があったという。本堂裏に樹齢400年とする市指定のシダレザクラがある。 |
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千臂堂(せんぴどう)(千手観音堂) |
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市内現存の歌碑・句碑で最古の市指定「亀谷観音堂の芭蕉句碑」をはじめ、巨大な馬頭尊供養塔、不動明王石像などが立ち並ぶ。 |
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光現寺(こうげんじ)(曹洞宗) |
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鎌倉期の市指定「木造毘沙門天立像」を安置。山門前の結界石「不許葷酒入山門」は、名僧高泉和尚開山の旧珊瑚寺から移ったもの。 |
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真行寺(しんぎょうじ)(真宗) |
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少年隊士成田才次郎の突きを受け戦死した、長州兵隊長白井小四郎をねんごろに葬る。 |
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顕法寺(けんぽうじ)(真宗) |
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二本松城主加藤明利公の菩提寺、墓と位牌を守る。戊辰戦死の少年隊士、田中三治16歳の墓所。 |
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台運寺(たいうんじ)(曹洞宗) |
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2・6・7・9・12代将軍の位牌を安置。山頂に戒石銘碑発案の岩井田昨非が眠る。戊辰戦死の少年隊士、久保豊三郎12歳・奥田午之助15歳・根来梶之助15歳・上崎鉄蔵16歳・中村久次郎17歳の墓所。 |
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正慶寺(しょうぎょうじ)(真宗) |
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大壇口の激戦で壮絶な戦死を遂げた、少年隊隊長木村銃太郎の墓所。享年22歳。 |
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善性寺(ぜんしょうじ)(浄土宗) |
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県指定「木造阿弥陀如来坐像」、市指定「木造阿弥陀如来立像」「木造釈迦涅槃像」を安置。二合田用水功労の磯村文蔵が眠る。戊辰戦死の少年隊士、大桶勝十郎17歳の墓所。 |
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本久寺(ほんきゅうじ)(顕本法華宗) |
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丹羽氏入府時に植えたとされる市指定のシダレザクラがある。戊辰戦死の少年隊士、遊佐辰弥13歳の墓所。 |
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