寛永20年(1643)10万700石二本松藩の誕生に伴い初代藩主として入府した名君丹羽光重公。
先祖以来継承してきた築城・町割技法を発揮し、10年余りの歳月をかけ、城内・城下(郭内)・城下町の大整備事業に着手。その整備形成は現市街地の原型で大きな差はなく、"ちょっとぶらり"で江戸時代へタイムスリップ。
先祖以来継承してきた築城・町割技法を発揮し、10年余りの歳月をかけ、城内・城下(郭内)・城下町の大整備事業に着手。その整備形成は現市街地の原型で大きな差はなく、"ちょっとぶらり"で江戸時代へタイムスリップ。
二本松御城郭全図(旧二本松藩主・丹羽家所蔵)
城内を中心として、御殿・蔵・馬場・小屋などの各施設をはじめ、寺院・神社の位置、及び主要道路・町名などがほぼ詳細に描かれている。 江戸時代後期から幕末期頃の絵図であるが、丹羽光重公入府直後に大整備した当時とあまり変わっていない。現在の市街地と比べても基本的には大差はなく、350年ほど前の“まちづくり”が今でも脈々と生き続いている。