沿革

城下町と商店街

二本松藩主丹羽光重公による城址の大拡張工事にともない新たに切りひらかれた街道筋への町人街の移動が行われたのは、今から約300年前のことです。町の中央を東西に走る丘陵に沿って拓かれた町筋には、この山を境に竹田・根崎と若宮・松岡・本町・亀谷の六町内がつらなり、鍛冶・指物大工などの職人や商人たちがそれぞれに町人の街を形づくってきました。
その後の長い歴史の中で、ときには盛衰はあったものの新たに郭内を加えた七つの商店街は、当時の町名をそのまま冠した商店街として今も活発な活動を続けています。

二つの商工団体から二本松商工会設立へ

 長いこと城下町の面影をとどめた街道にその後大きな変化はなく時代が移りました。しかし戦後まもない昭和23年、本町地内を通 過することになった新国道の開通は、これらの商店街にさまざまな影響を及ぼしはじめました。
 優位に立った本町地区の商店街は翌24年3月、二本松商友会(会長・岡村栄八郎)を結成して気勢をあげましたが、これに呼応するかのように同年11月には竹田・根崎地区の商店街が竹根郭内商工会(会長・山田健二郎)を結成、山をはさんで二つの地域商工団体が競合する時代が続きました。このような状況の中で昭和30年1月には1町5ヶ村の合併により新二本松町が誕生、ようやく商工業界に大同団結の気運がおこり、翌31年4月に二本松商工会(会長・岡村栄八郎)の設立をみるに至りました。この時代のできごとをもう一度年譜によってひろいますと、
昭和30年 町村合併 (1月)
お城山で初の菊人形展 (10月)
31年 二本松商工会結成 (4月)
32年 初のスーパー「ベニマル」二本松に出店 (5月)
二本松町役場新庁舎落成し本町より移転 (12月)
33年 二本松市誕生 (10月)
34年 本町通り初の駐車禁止 (8月)
これらの時代を背景に昭和35年11月には「商工会の組織等に関する法律」にもとづき、新たに二本松市商工会(会長・岡村栄八郎)が設立され名実ともに市内商工業者を一体化した組織が確立されました。

商工会議所設立までの経過

その後商工会議所設立の機運が高まり、昭和40年3月になって有志による協議会が開かれ商工会議所設立準備会が発足、設立への第一歩をふみ出しました。その後関係機関の指導を経て翌41年8月設立発起人会を結成、総代に岡村栄八郎を選任し、事業執行の充実、会員加入ならびに会費の増大をはかりました。
 43年5月に開かれた商工会通常総代会において役員の改選が行われ、会長に岡村栄八郎、副会長に藤井清、五十嵐一、専務理事として鈴木幹雄を選任しました。また、この年11月には、今まで商工会が行ってきた連合大売出し等の事業を分離するため新たに二本松市商店街連合会(会長・矢島庄助)を発足させるなど、設立への態勢をととのえました。
この間、事務局整備のため市商工観光課商工係長(43年9月)、郡山商工会議所開発係長(同年10月)、さらに市商工観光課長(44年1月)の各氏を移入し設立準備をととのえました。
44年7月3日二本松商工会議所設立総会(於霞ヶ城会館)を開催、9月20日通 商産業大臣より設立を認可され、同年10月1日待望久しかった商工会議所が幾多の困難を克服し発足し、初代会頭に五十嵐武三が就任しました。(敬称略)